朧の月亮

雑多な投稿・思ったことを気の向くままに

「ぼくらの七日間戦争」を斜に構えて再読した話

ああ、俺は諦念に塗れた「おとな」側になってしまったのだな。

 

小学生以来の「ぼくらの七日間戦争」を読み終えて、そう思った。

 

もちろん、今の生き方だって案外悪くないと思っている。諦念は抱いていても、つまらない「おとな」になってしまったわけではないと思いたい。しかし、頁を捲るたび、一文一文に対し「これは所与性あってのことだ」「結局あれだけ反抗しても親に頼っているのだ」といった冷笑を投げかけそうになった。

 

思えば私の小学校高学年〜高校1年生くらいの価値観の根底にあったのは、この本だったのかもしれない。高校入学直後に学生団体に入ったのも、この本に出てくる少年達と団体のメンバーを重ね合わせたからなのではなかったか。少年達は学校から離れて自分たちで物事を企画し、それに賛同する浮浪者の老人やメディア関係者の力も借りながら道を切り開いていった。(私が入った当初の)学生団体のメンバーも同様に自分たちで物事を企画していたし、賛同する慈善団体とフリーのカメラマンがいた。これは参加するしかない。そう本能的に思って参加したのだった。

 

しかし、決定的な違いがいくつもあった。また当時の私が気づいていなかった、所与性というものも確かにそこにあった。しょせんガキが一人では何もできない。みんな与えられた環境の中で何かを成し遂げている。そんなことを悟ってしまった。そして今、私は当時の熱を失いかけている。冷笑主義者になりたいわけではないが、けっきょく少年達も私も、一人では何もできないほどに無力だったのだ。

 

そして、すべてが弱々しい模倣の日々だった。

 

この本で少年たちは、厳しい校則を嫌ってもいた。中学生の時の私もそうで、この本の弱々しい模倣として、生徒総会で校則に挑戦した。私の中学は生徒会や生徒の権力が強く、校則の改定などが可能だった。しかし、それはあくまでルール上の話であって、実際には生徒の権力は教師には劣っていた。「雷神」と呼ばれていた教師が生徒会の権力を引き上げたために生徒には権力があるように見えたが、雷神がいなければ生徒は結局、何もできなかっただろう。雷神が去った後の生徒総会で、私の校則に対する反駁は黙殺された。かつての白熱した生徒総会は雷神が引き上げた生徒の権力を所与のものとしているに過ぎなかったのだ。また少年達は教師による暴力に苦しんでいたが、私はそうではなかったし、境遇が同じだとして共感していた少年達は、本当は私とは違う世界にいたのかもしれない。

 

それに、この作品で教師が言う、「子供を牛馬のように躾けろ」という言葉は、程度の差こそあれ私の中学とも同じ状況にあることは事実だが、牛馬のようにとは使役することを意味せず、社会で通用するために厳しく訓練すること、またそのために性悪説に基づく校則の規定があったのだろうと今になっては思う。それでも中学生の私は少年達に深く共感しており、自分にはできない少年たちの思い切った反抗を痛快だと感じていた。そういう憧れを、この物語の模倣のような小説を自ら書くことで消化してさえいた。しかし、今思えば厳しい校則というのは無条件に良くないものではないし(勿論根拠を説明できないような身なりの規定などは無くすべきだとは思うが)、ルールの価値を理解したうえで従うことは大切だ。条文をなんとでも解釈できてしまうルールは大人が意図した通りに子供が運用するとは考えにくく、性悪説に基づいたルールは支持できる。意味があるかどうかわからない規則というのは、背いてみれば失敗からその価値というのはわかるはずだ。反抗期の少年たちが言ったようにルールというのは大人が、子供を都合よく従うロボットにしたくて作るものではないというのは今となっては理解できる。

 

学生団体はどうだったか。これも弱弱しい模倣に過ぎなかった。もちろん先輩の代は優れたリーダーシップや頭脳の持ち主が意見をぶつけ合って活気ある活動をしていたし、後輩の代も活躍している。それをInstagramで見かけるたびに、やり残したことが引っ掛かって、グダグダの運営をした罪悪感が蘇る。頭が熱くなって足元が揺らぐ感覚に襲われるのだ。少年たちはそれぞれ頭脳や腕っ節の強さ、親の職業に由来する特化した技能など尖ったスキルを持っており、絶妙なチームワークを有していた。いっぽう私たちはそこまで尖ってはいなかった。ただ、そこそこ賢くてそこそこ怠惰で愚かだったのである。また私の代で起きていたメンバー間の不和というのも、少年達にはなかったものである。少年たちは解放区と称した廃工場で夜を共に過ごし、屋上で星を見上げながら語り合っていた。語り合うからこそ、不和は起きなかったのだ。しかし私たちはどうか。特に、私は他のメンバーと関わろうとしなかった。だからミーティング中に企画の不備を感じた時、投げやりにそれを指摘するばかりで共感も示さなかったし、それがあるメンバーとの対立を深めることとなった。勿論意見がぶつかるのは当然のことだし、そういった議論からより良い企画は生まれる。しかし私は代替案を示すことをしなかったし、指摘された向こうも向こうで、私のことを方向性が一致しない人だとして嘆いているのを聞いた。

 

しかも私たちは、与えられたモノすら使いこなせず、ミーティング中にスポンサーの悪口を言うだけの生産性のない時間が生じたり、先代のコネを無視してスポンサーにろくに活動報告もせず、参加者が2人しか来ず企画も練られていないオンラインワークショップをやったくらいだ。今年度はオンラインの年だったね。そうミーティングで振り返るメンバーに、ミュートになっているマイク越しに吐き捨てた言葉は、「馬鹿野郎、怠惰の年だろうが?」。少年達だって与えられた環境を使って反抗し、それが終わったらまた親元でぬくぬく暮らしているなどと叩きたくはなるが、与えられたものをフル活用していたという点で決定的に私たちとは違ったのだ。親の花火工場から花火を盗むくらいのことを、どうして私たちはしなかったのだろう。与えられたモノすら使いこなせなかった人間が「それって所与性ですよね」などと鼻高々に指摘しても価値はない。

 

一つの文章にまとめきれないほど感情をグチャグチャにされながら、何とか読書記録をまとめてみた。我々は確かに無力で愚かであったし、大人の「有難い言葉」はある程度正しい。結局反抗期の中学生みたいなノリで生き続けることはできない。

 

それでも、すべてを諦めたわけではない。自分一人でできる事には限界があるが、能力を最大限に発揮するためのマネジメント術や人を頼るためのコミュニケーションと人脈作りなどで、何かを成し遂げることはできるかもしれない。また何らかの理不尽と思えることに遭っても、校則の意義を理解するように、まずはできる限り理解しようと思う。