朧の月亮

雑多な投稿・思ったことを気の向くままに

カネはあればあるほど幸せである

「カネがなくても幸せ」と言っている人がいる。何に幸せを感じるかは人それぞれだし、確かにカネがなくても幸せな人はいるかもしれない。しかし、そのような人はほんの一握りであるのではなかろうか。

 

以降で述べることは至極当然のことであるから,簡潔にまとめる.

 

基本的に私たちはモノを手に入れるときや,人に何かをしてもらうときなど,自分一人でできないことをしたいときにカネが必要なので,カネはあればあるほど良い.例外として,自給自足の暮らしを送っている人や,頻繁に無償で何かを手伝ってくれる人が近くにいる場合があるのも,よく言われる話だ.

 

では,手伝ってくれる人もなく,持っているカネも決して多くないのに幸せそうな人もいるが,そのような人はなぜ幸せなのだろうか?

 

私が思うに、それは可処分所得の問題である。他人と比べて持っているカネの量が少ないことは問題ではなく、なんに使うのかが問題なのだ.生存できる最低ラインの消費行動に加えて,娯楽費や交際費,その他QOLの向上のために自ら用途を選択して使える程度のカネを持っているから幸せなのだ(うまいこと節約して遊びにカネを使うのが,潤沢にカネがあるのとはまた違って楽しいという人もいる)。逆に、カネを人と比べてたくさん持っているにも関わらず生活に満足していない人もいるが,このような人は自分より持っている人への羨望から不満を抱えているか,その使い所を間違えてカネがQOLの向上に寄与していなように思う。

 

つまり,一部の例外を除けば、我々にとってカネはあればあるだけ―少なくとも可処分所得が存在するくらいは―幸せになれるのである。

 

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追伸

「限界効用逓減の法則」というものがあり,ある程度金額が膨大になると満足度が頭打ちになることがありますが,ここでは「金がなくても幸せ」への反論であり膨大な金額には言及していないため無視できるものとします。