朧の月亮

雑多な投稿・思ったことを気の向くままに

刺激が足りない

大学生活が始まって半年が経過した.そんな今思うことといえば, 刺 激 が 足 り な い ということだ.

 

第一志望の大学に合格して,潤沢な仕送りで念願だった東京での一人暮らしを満喫している.…はずなのだが,な ぜ か 楽 し く な いのである.

 

英語で何かをして楽しむというのは,Enjoy oneself  ~ingという.何を楽しいと感じるかは自分次第だし,楽しみは自分で見出すものなんだよ!!そう,高校の英語教師が言っていた気がする.もっとも,これも思い出補正みたいなものかもしれないが.だとしたらなぜ,俺は楽しみを見出せないんだろうか?そもそも,楽しいと感じなきゃいけないものなんだろうか?

 

夏休みは2か月もある.この間にバイトやサークルなど,楽しむ機会はいくらでもあるはずだ.しかし,どれも 実 績 解 除 で し か な い 気がするのだ.サークルに参加した,授業を切った,過去問でテスト対策をした,1限寝ブッチした,そういう実績を解除したところで,それをSNSに投稿していいねを得ることで楽しいと思い込むしかできない気がするのだ.それは非常にまずいことである.興味のないことは学べないこと,楽しみを見出せないと鬱になることは高校時代の経験からも明らかであるが,それを知っているにもかかわらず楽しみを見出せない.

 

それはすべて,「 与 え ら れ て い る 」ものにすぎないからではないだろうか?先輩の作成した時間割を丸写しした履修登録,TAの人に答えを教えてもらってレポートを書く小学生向けのオーキャンみたいな学生実験,学生実験の班割りで自然に生じた過去問共有LINEグループ,そして親からの潤沢な仕送りで成り立っている大学生活…どれも自分で切り開いた道ではない.与えられたものにすぎないのだ.しいて言えば,共通テスト後2週間で数IIIを詰めて勝ち取った合格くらいが自分の力で得たものか.

 

そんなことを思ってもなお,他力本願になってしまう.自分で作り出す楽しさって一体なんだ?エグいほど面白い奴と友達になりさえすれば変わるんじゃないか?そう思ってしまう.事実,高校ではエグいほど面白い奴が友人の一人にいたのだ.その友人と卒業に際して,物理と数IIIの教科書とトレードでもらった山川の日本史と世界史を見るたびに,今とのギャップを感じる.

 

今も友達はいないわけじゃないが,みんな中途半端に真面目なだけで尖り散らかした奴はいない.面白い奴を友達にしなきゃいけないという焦りを感じているのだ.人生のピークが高校だったら,これからの大学生活は「高校時代は良かった」と懐古するだけで進歩のないものになってしまう.さらに将来においても,特に東京で就職するならば東京に人脈を作っておく必要がある.それには,よっ友程度の関係ではない,深い関係の友人が必要であり,俺をして深い関係になりたいと思わせるのは尖り散らかした奴だけだ.

 

というのも,高校で学生団体をやっていて思うのは,結局人脈ということだからだ.コネもカネも実力もない若造が何かを成し遂げることはYouTubeに今更参戦して銀の盾を獲ろうとするほど無謀なことだ.けっきょくあの団体が力を得ていたのは,初代の熱意に共感した大人たちとの人脈にほかならず,俺の代では,その人たちに頼らず何かをしようとするも,客が2人しか来ないワークショップくらいしかできなかったのだ.

 

ああ,このまま人脈ができなかったら,俺の将来は暗い.一生懐古するだけで進歩のない人間になってしまう.そういう焦りを感じている.