朧の月亮

雑多な投稿・思ったことを気の向くままに

歩く時でさえ責任の所在は明確でなければならない

よくTwitterで、縦割りの仕事分担は融通が利かないからよくないとか、自分の仕事しかやらないからよくない、もっと協力すべきだとか、あるいは対照的に、縦割りにするのは自分のすべきこと、他人のすべきことが明確に区別されて仕事の漏れがなくなるのであり、協力がうまくいかず仕事の漏れが発生するのは縦割り自体に問題があるのではなく、割り当てられた人の問題だとか、そういった議論が交わされる。

 

まあ何であれ、私は「責任の所在を明確にすること」は大事であると思っている。それは縦割りに近い思考だが、必ずしも縦割りではない。複数人で仕事を運営する際には、縦割りをベースとして、適宜自分の分野以外の仕事も手伝うべきであり、その際は「この範囲まで手伝う」と明確にすれば、仕事の漏れがなく効率的に作業が進むと思っている。

 

逆に、責任の所在が明確でなかった場合には失敗が起きる。その失敗の経験を、私はいくつか持っている。

 

  • 学生団体での経験

私は学生団体でオンラインイベントの企画に参加したことがある。このとき、企画の趣旨やスケジュールなどの決めるべきことを議論して、するべき仕事を列挙するまではMTG[ミーティング]で行われたのだが、肝心の「その仕事をだれがやるか」が議論されていなかった。

その結果、コアメンバー以外のメンバーが指示待ちになり、応募フォーム作成などの細かな手順が完了しないままイベント当日を迎えようとしていた。

奇跡的に私は毎回の議事録を担当しており、イベント前日に議事録を見返して進捗を把握しようとしたときにフォームがないことに気づき、慌てて独断でフォームを作成した。それでもけっきょく当日は人が集まらず、決まったイベント日時を延期するという言語道断の行為をした。

 

  • 歩くことさえ責任が必要

先日、Twitterで会う約束をした人と札幌の観光スポットを廻った。

——どこ行きますか?

——時計台とかどうです?

——ああ、いいんじゃないですか?

着地点が視地平の向こうにありそうな会話をしながら、地下街を歩いていた。

「あれ、どこ行こうとしてます?」

スマホから目を離して視点を上げると、道の突き当りに来ていた。私たちはどちらも、ルート選択の主導権を握っていなかったのだ。互いに相手が何かを言うのを待って歩き続けた結果、何もない道の突き当りまで来てしまった。

 

チームワークを発揮すればできることは格段に増える、個人の能力の人数倍以上の成果を発揮できるとはよく言われるが、誰かが主導権を握らなければ(トップダウンという話に限らず、率先すると言い換えることもできる)得られる成果は個人の能力の人数倍未満になるだろう。「誰が」「何を」やるのか、言い換えれば、だれが率先して動くのかは、明確に決めなければならないのだ。